2/18 京都マラソン(あんぱん引退ブログ)

お久しぶりです、7期のTJです。2月18日に京都マラソンに出場して参りました。自身にとって「あんぱん」として出る最後の大会であり、”引退”をふるさと京都で迎えました。“引退ブログ”が数行で終わるはずもないので他の方のコメントを先に掲載します。

【俊明】12期の加藤俊明です。今回2回目のフルマラソンでしたが、37km過ぎた辺りで歩いてしまったのが反省点でした。その後の終盤であった京ばあむは立ち止まって普通に味わって食べてしまい、その後しっかり水を飲むことも忘れませんでした。それでも、全て走り切った前回より5分ほどタイムを更新できていたので良かったです。皆さんに置いて行かれないように頑張りたいです。

【うえたい】初めてサブスリーできました!9期のむーさん、10期のはじめさんまゆさんあしおさん、11期のかみだい、12期のちひろ、てっしー、いっぺい、が応援してくれてめっちゃ力になりました。

【おうちゃん】こんにちは!11期の桜香です。最近12期の一部から“おうちゃん“ではなく、“おーさん“(誰かのあだ名によく似ている…笑)と呼ばれています。はじめは、真剣に嫌だったんですけど、ニコニコでおーさんって呼んでくる後輩の顔を見てたら、もうどっちでも良くなってきました笑 私にとっては2回目の京都マラソンでしたが、やっぱりとても緩かで長〜い上り坂が続くところがキツかったです。記録は3時間19分と、自己ベストを更新できていないので、練習量と練習強度をもう1段階上げて引き続き頑張りたいと思います。 9期のむーさん、10期のまゆさん、はじめさん、あしおさん、12期のちひろくん、てっしー、応援ありがとうございました!!しんどい時に応援してもらえて、本当に力になりました。マラソン後に行った、東條さん、郁斗さん、とっづーさん(原文ママ)、かなめさん、うえたいくんとの焼肉とビールは最高に美味しかったです!またマラソンでご一緒する機会があれば、ぜひ声かけてくだいさいね☺️

【とっつー】初めてのフルマラソンとてもきつかったけど完走できてよかったです。京都という思い入れのある街を走れてとても楽しかったのでまた出たいです!


元々、この京都マラソンには並々ならぬ思い入れがありました。実は大学院生活がうまくいかず、昨年の京都マラソン直前に休学届を出したのですが、なんとかサブ3を地元京都で達成することで自尊心を取り戻すことができ、 東京で再出発する決意を固めることができました。

(あ、申し遅れましたが今は東大の院生をやっております。インカレサークルなので東大生でも問題ない?ということで今年度いっぱいはあんぱんに所属をしております。あと2年所属できる説はありますが、流石に老害が過ぎるので本来の修士修了のタイミングで退きます。)

院試再受験の決意と同時に、 来年この大会でサブ2.5すると誓い、 受験期も鴨川や東大路を見る度に京都マラソンを思い返し、 研究計画書も京都マラソンから得たインスピレーションを元に書きました。

東大院として出場しないのは、シンプルにエントリーが8-9月で間に合わなかったのもあるのですが、6年間お世話になったサークルの名を借りて、ふるさと京都で走りたかった気持ちが強かったです。そして、内なる魂からの強い要請によって、京都マラソンを今年度の最重要大会に位置づけました。

ただ結果は残酷でした。当初目標の2時間半は厳しくても、2時間40分〜45分は狙えると思っていたのですが、結果は3時間16分47秒(18.08-19.03-18.48-19.23-20.18-21.57-31.04-36.48-11.18)と、秋の松本マラソンはおろか、昨年のレースタイムを大きく下回ってしまいました。

言い訳にはなりますが、12月に課題に追われて練習時間が取れず、1月にそれを取り戻すべく走行距離を増やしたら怪我をしてしまいました。2月に入ってからなんとか25㌔走はできたのでスタートラインに立ちましたが、競技としてフルマラソンに出られる状態ではなかったのだと思います。

それでも、前半85分や90分で入って置きに行くレースをしたり、練習不足を理由に棄権する選択をするよりは、果敢に攻めて撃沈したこの結果の方が良かったとは思います。

レースを振り返ります。今回のレースプランは3分48/㌔(19分/5㌔)くらいで行けるところまで行く計画でした。ペースを維持できれば2時間40分、後半4分/㌔に落として2時間45分の計算になります。

つまり、18分08で入った最初の5㌔はかなりのオーバーペースだったことになります。ただ、かなり余裕を持って走れていましたし、ここで貯金を作った分、6㌔以降のアップダウンに冷静に対応できたので、これが失敗の要因だとは思いません。

6㌔過ぎの跨線橋から先は20㌔付近までアップダウンが続きますが、ペースを一定に保つというよりは、体感のきつさを一定に保つことを意識できました。ハーフの通過が79分34(3分46/㌔)だったのでここまでは昨年のレースを4分ほど上回る良いペースでした。

ただ、案の定ハーフを過ぎてからはペースダウンしました。しかしこれは去年も経験したことですし、想定内の出来事でした。今回のレースでは10km,15km,20km,25km地点でのきつさが、去年のレース時の感覚と面白いまでに一致していて、京都の思い出だけでなく、昨年のレースの想いをなぞって走っていることを実感しました。

昨年奇跡的にペースの回復ができた地点である27km地点の植物園からもう一度ペースアップしようと試みました。ただ奇跡は二度は起こらないものです。大してペースアップできないまま鴨川に入りました。

悲劇はここからでした。31km、ちょうどあんぱんの練習場所を過ぎてから脚が攣り始めました。呼吸が苦しいとか、脚が疲れたとか、「感覚」として生じるものなら気力で何とかするのですが、脚の痙攣は「現象」として生じているので気力ではどうすることもできませんでした。何度もイメージトレーニングを積み重ねた、思い入れのある中京区・左京区のコースを歩くようなペース(最遅ラップは8分25秒)で進むのは精神的にも苦しかったのですし、競技にはなっていなかったので棄権してもよかったのですが、京都大学だけでなく京都マラソンも”中退”してしまうと、自分の中で何かが崩れる気がしたので、とりあえず足を前に進めました。

いくとに抜かれ、うえたいにも抜かれ、次はおうちゃんが迫ってくる気がしました。ただ、同じ組織の女子に抜かれてしまうのも、自分の中で何かが崩れる気がしたので、なんとかペースアップをする方法を考え出しました。

39㌔からはガニ股で走ることで、まだ余力のある筋肉を選択的に使い、5分強/㌔まで戻せました。それでも何と言えば良いのでしょう、3時間16分というタイムは、美しいまでに『完全「不完全燃焼」』と言い表すしかありません。

あんぱんでの6年間を振り返ると、自身の高校陸上の『完全「不完全燃焼」』を引きずって迷走したり、周りがレース出場にあまり興味がなくスタンスの差に悩んだり、コロナ禍で全くレースが開催されなくて発狂したり、自身の精神が走れる状態になく苦しんだりしたことがありました。そう考えると、タイムは振るわなくても、仲間たちと笑ってふるさとのレースで”引退”することができたことは幸せと言えるかもしれません。

僕は自らの意思で京都での学生生活を中断した人間で、京都での学生生活は上手くいかなかった部分も大きいと言えます。しかし、京都での学生生活が同時に、人生の中で忘れられないものにもなっているからこそ、京都という場所、京都マラソンという大会、そしてあんぱん名義での出場に強いこだわりを持ったのだと思います。

これであんぱんとして出るレースは終わりました。ただし、マラソンへの挑戦はこれからも続きます。昨年誓ったサブ2.5は達成したいですし、達成すべき場所があるとすれば、やはり京都を置いて他にないとすら思います。

そして、あんぱんでできた仲間との関係もこれからも続きます。「京から明日へ。」京都での思い出を背負って、僕はこれからも生きていきます。

administer
  • administer

1件のコメント

  • ぼくの方は◯ーさんを返上したいと思います…

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